振り返って


今年一発目は、”ネタ”に困ったので

自分の過去のことを書こうと思います。

過去と言っても、お笑いのことを中心に。

これまでの森川 剛のお笑いヒストリー!

 

※これまでの相方の写真を拝借します。どうか許してください。

一応簡単に自己紹介

1994年生まれ。千葉県出身。高校卒業後に就職したものの、憧れのお笑い芸人になりたいと考え、1年で仕事を辞めてお笑いの世界に。しかし、芸人だけでは食っていけないため、ネット回線をひたすら売り続けるという営業代行会社で働きながら活動を続ける。現在はUZUZに転職し、営業兼キャリアカウンセラーとして日々業務に取り組む。「芸人キャリアカウンセラー」として最近流行りのパラレルキャリア実現を目指す。

※自分のHPより一部抜粋

 

WG(ダブルジー)

これは本当に曖昧だが、確かこれが一番最初のコンビ。

もはや写真さえない。

当時、高校生3年生?だった気がする。

森川家は基本的にお笑い番組を観る習慣がなく、初めて漫才やコントを観たのは

YouTubeだった。

まあこれが衝撃でお笑いを目指したい!と思い、友達を誘うも、

割と現実を見る高校生だったので

お笑いには進まず、社会人の道を選ぶ。

しかしながら、ずっと「お笑いをやりたい。」という思いを胸に抱きながらの仕事は苦痛で

2015年?だったかな。覚えてるのは年明けすぐに退職をした。

そしてすぐに先ほどの友達に声をかけたところ、OKとのことで(LINEで結構口説いた)コンビを結成。

ちなみにこの頃、僕はZ3というオープンカー(まあまあボロボロ)に乗ってネタ合わせ場所のサイゼリアまで行っていた。

オープンにする機会はそうなかった。

 

そして人生で初めて漫才ネタを作り、(内容は覚えてないが、なんか相方がアイドルに詳しかったのでそんなネタだったような)事務所のオーディションを受けるためにソニーミュージックに書類を出した。

しかし、ネタ見せの日の二日前の夜に

急に相方からLINEが。

「このネタ見せで活動を最後にしよう。」

 

え?つまり所属しても終わりってこと?

 

ええええええ、意味ない!!!!ってなりあっさり解散。

思えば、相方は大学生だったので、仕事をやめた僕ほど温度感はないだろう。w

しかしネタ見せの日は変わらないので、とりあえず一人で行ってみた。

 

マネージャー「あれ?写真二枚あるけど、相方は?」

いないです。解散しました。

マネージャー「は?ww じゃあネタは?」

これがないんですよね。即席のなら昨日作りましたが。。

マネージャー「その経緯が面白いから、来週からネタ見せきて今月から事務所ライブ出ろよ。」

っていう感じで入った。

これは後から知ったがら、ソニーのお笑い部門は良くも悪くも、来るもの拒まずスタイルで行なっているらしい。

大手プロダクションのソニーだが、お笑いだけはすぐいけるよ。

迷ってる方はぜひ。キングオブコント王者もR-1王者もいる!

こうして一人でピン芸人として幕開けした。

ありがとう、上田くん。

 

ナンジャモンジャ

ピンでやるのは無理だと早々に感じていたので

まずは同じ事務所で相方を探すことに。

そしたら、いた。

舞台で光熱費の請求書を持って、

「お前らが払えよ!!」ってお客さんに怒鳴りつけてるやばい奴が。

今でも覚えてる。すげー奴いるな。関わるのやめようと思っていたら

向こうから話してきて、「組もう。」

え?早くない?

と思いつつ、何度か連絡して後日、彼が住んでる江古田だったかな?

家でコンビ結成。

”ナンジャモンジャ”

向こうが決めたので由来までは知らない。

一ヶ月ほど彼の家でネタ合わせをして

さあ明後日がライブ!って時に

音信不通に。。。

もはや写真さえない。

当時の僕はイベントのある二日前に何かある人間だった。

 

やすひろ君、ありがとうございました。

 

赤いサザンクロス

少しの間、ピンで活動していたものの

まあ、その状態に耐えれるはずもなく、早速相方を探すことに。

しかし困ったことに、誰を誘えばいいのか。当時19歳、周りは学生。

困った。。どうしよう。

って時に一通のLINE。

「暇なら飯行こう。」

※細い内容は覚えてない。

これが赤いサザンクロスのボケ担当、中垣だ。

聞けば、大学を中退してフリーターをしてるとか。

これはチャンス。ちなみに高校時代から仲が良く、実は今もルームシェア中。

※切実に引っ越したい。

こいつとやろう!!

こうして、先ほどと同じ手口で口説いてコンビ結成。

“赤いサザンクロス”

最初はレッドアイという名前だったが、先輩からダサいと言われ、

命名してもらった。しかもtwitterのリプライで。w

当時は芸人はガチガチの縦社会だから断れないと思い、受け入れた。

もちろん、今もガチガチの縦社会であると思っているが

まさかtwitterで命名されるとは。www

しかし、この件は感謝していて

この名前のおかげで繋がった先輩もいた。

名付け親は川田さん。ありがとうございます。

赤いサザンクロスではそれなりに活動をした。

例えばネットラジオ

まだあるのが不思議。w

そしてまあ〜つまらん。w

あとはネット番組。

これは同期の青春コメディと!

 

しかもアーカイブもまだる!

こちら!

ロケをしたり、ゲストを迎えたりと好き勝手に番組をやらせてもらいました。

二年ほど、活動した後に解散。

一番長くやったコンビでしたが、二年やって気づく、限界。。

ネタどうこうでなく、”相方”としての限界を感じた。

もともと、高校が同じでほぼ毎日のように遊んでいた友達から

“相方”をというビジネスパートナーはお互いにとって苦痛だった。

昔はバカ話をしてゲラゲラ笑っていたが、コンビを結成してから

そういった会話はなくなり、気づけばネタに関する悪い指摘を互いにするだけであった。

単純に、「友達に戻りて〜」となったので

赤いサザンクロスは解散。

中垣、ありがとう。あとごめんな!

 

ミントナトリウム

解散してすぐ、結成したのが”ミントナトリウム”

当時、ソニーで僕の唯一の年下の後輩。

コリジョン大統領くん。

彼もバグっていた。ナンジャモンジャ時代のやすひろくん並みに。

いや、それ以上だったかも。

当時は赤いサザンクロス時代に言われていた、「お前ら色がない。自分だけの”色”」という言葉を何度ももらい、

苦しんでいた。簡単にいうと、二人にキャラクターがないということ。

そんな矢先に見つけたのがコリジョン君。

しかし彼も現状に困っていたこともあり、あっさりと結成。

そして、二年いたソニーを離れることに。

自分なりにリセットしたい何かがあり、退所。

唯一あった写真が上記の代々木公園でネタをした時。

寒かった記憶があるけど、いつだったかな。

コリジョン君は後輩ということもあり、イニシアチブは僕にあった。

ネタ作成から、ライブ手配にSNS管理。

しかし、この全ての管理が彼を苦しめた。

これは今になってわかることだが、人間関係において必ずしも”上下関係”は必要ではないと思った。

上に立つ以上、相手は下になる。

徐々に追い込まれていった彼はある日、

「3ヶ月間だけピンでやりたい。」

と。

彼曰く、その期間を修行期間としてパワーアップをして再開という流れにしたかったらしい。

今となってはそれが本音だったのか、あるいはそのまま自然消滅を狙っていたのかはわからない。

が、当時の僕は当然ながらその提案に首を振った。

 

鬼かもしれないが、その時はかなり焦ってもいた。

 

なぜなら、ソニーをやめてしまい”無所属”だったから。

目星を付けていた事務所を二次選考で落ちしてしまい、さあどうしようとなっていた時期だった。

こういう時だからこそ、結束してなんとかコンビで乗り越える必要があると踏んだ僕は

コリジョンの単独行動を全力で否定した。

この時の僕の性格はやばかったと思う。独裁者そのもの。

独裁者モードは悲しいですが、つい最近くらいまであった気がする。

あることをきっかけに客観的に見れるようになって落ち着いたかな?と自分で思えるが

それはまたの機会に話す。

こうして、絶対政権に耐えられなくなって疲弊するコリジョン君を僕が一方的に見切りをつけて解散。

その後、彼が何をしてるかは不明だが共通の知人からは元気にやっていると聞いた。

申し訳ない、コリンジョン。

当時は焦りが先行して、暴走をしてしまったことを謝罪します。

 

就活アドバイザー芸人

また、一人になってしまった。。

この時は、どうにか一人でやっていける方法をひたすら模索していた。

当然、事務所もなく以前無所属のまま。

ここで唯一、自分の発想を褒めたいのが

“就活アドバイザー芸人”を思いついたこと。

今までは芸人として売れて雛壇に出たい!と思ってました。

もちろん、今でも思ってます。

しかし別の方法も出てきた。

“自分だけ”の武器で挑むこと。

雛壇というレースには何千下手したら何万もの芸人が挑んでいる。。

その中で勝ち抜いて、さらに勝ち続けるのはほんの少し。

自分なりに

勝つ=雛壇ではないとうゴールセットにした結果、

自分だけの武器で戦う方法をとった。

それが”就活アドバイザー芸人”

複業芸人として、ブルーオーシャンで自分なりのレースに参加する。

面白い芸人は五万といるが、就活支援できる芸人は何人いるだろう?

要は考え方!

と開き直って再スタート。

 

ギャップスン

ようやくここまできた。w

就活アドバイザー芸人としていろんな事務所(大小問わず100社ほど)にメールを送って

計3社から返信が来た。

その中で今の事務所に決めた。

そして面談の時にいたのが今の相方、東 大さん。

東大出身で東 大(ひがし だい)

一周回ってパンチが効いた名前。

そして、おじさん。

彼は芸人でなく本業は役者。

彼もまた、”複業芸人”である。

これは面白い。

 

って感じで現在に至る。

まだまだこれから。

 

終わり

 

意外にも過去のコンビを振り返ったことはなかった。

たまには大事だということを再確認。

 

ここには書ききれないことも多くありますが

まあ大枠は話せました。

★次回、2018年一発目のアクションを起こします。

どうか協力してくださいw

 

あとこれ作った。

 

おわり


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